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山部王 : ウィキペディア日本語版
山部王[やまべのおおきみ]

山部王(やまべのおおきみ〔旧仮名遣いでの読みは「やまべのおほきみ」。〕、生年不詳 - 天武天皇元年7月2日?(672年7月31日?))は、日本の飛鳥時代の皇族である。系譜は明らかでないが、舒明天皇皇子である蚊屋皇子の子とし、子に三島垂水(垂水王)がいたとする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』巻11,内真人(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)〕。672年壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)の将となったが、味方の蘇我果安、巨勢比等(巨勢人)に殺された。
== 山部王の殺害 ==
壬申の乱の際に、美濃国に本営を設けた大海人皇子(天武天皇)に対し、大津近江宮にあった朝廷は、数万の軍勢を派遣した。琵琶湖東岸を進んだ軍の指揮官は、山部王、蘇我果安、巨勢比等であった。敵の前線拠点がある不破まで約20キロメートルの犬上川のほとりに陣をおいたとき、蘇我果安と巨瀬比等は山部王を殺した。この混乱で軍の前進は止まり、蘇我果安は返って自殺した。以上を伝える『日本書紀』は、殺害の原因に触れない。7月2日の項に続けて書いており、この日の前後か当日に事件が起きたと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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