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山野井 泰史(やまのい やすし、1965年4月21日 - ) は、東京都出身のクライマー。身長165cm、体重58kg。妻は同じく登山家の山野井妙子(旧姓・長尾妙子)。東京都西多摩郡奥多摩町在住。 == 概要 == *高校就学時よりアルパイン・クライミングに傾倒。高校卒業後はアメリカ合衆国のヨセミテなどでフリークライミングに没頭する。フリークライマーの平山ユージと共にルートに挑戦した。その後はビッグウォール(未踏の大岩壁)や超高所登山に転身し、妻・妙子と共に、毎年、新ルートを開拓する。 *フィッツ・ロイ(アルゼンチン)遠征の際に、スポンサーを求めていくつか企業を回ったものの、難易度は高いが、ヒマラヤに比べて知名度の低いパタゴニアの登山では理解を得られず、スポンサーも確保できなかったことから、それ以降は積極的にスポンサーを求めることはせず、遠征費用の大半を非正規労働で得た自費で賄っている。 *2002年、ギャチュン・カン北壁の登攀に成功するも、下山中、嵐と雪崩に巻き込まれ重度の凍傷に罹り、両手の薬指と小指、右足の全ての指を切断する重傷を負った。しかしクライミングへの熱意は冷めず、オールラウンドな挑戦を続けている。 *これまで数多くの山に登ってきたが、登山時に酸素ボンベを使用したことは一度も無い。使用しない理由は、「カッコつけた言い方になるが、その山の空気を味わいたいから。酸素が薄いなら、薄いなりの空気を味わいたいから酸素ボンベは使用しない。もちろん8000メートル峰等の酸素の薄い高所登山はとても危険なので、酸素ボンベを使用する人を否定しない」と、2004年6月25日に池袋で行われた東京アウトドアフェスティバルの講演会で語っていた。 *2008年9月17日、自宅近くの奥多摩湖北側の倉戸山(1169m)登山道付近をジョギング中に熊に襲われ、顔などに重傷を負い、ヘリコプターで青梅市内の病院へ搬送された。右腕20針、顔面70針を縫い、9月24日まで入院する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山野井泰史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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