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山野辺 義清(やまのべ よしきよ)は、江戸時代前期から中期の水戸藩家老。 == 生涯 == 明暦2年(1656年)、熊本藩家老楯岡忠直の子として肥後熊本に生まれる。はとこにあたる水戸藩家老山野辺義堅の養嗣子となる。 寛文9年(1669年)、14歳で家督を相続。禄1万石を与えられ、家老に列した。天和3年(1683年)、従五位下に叙される。伊豆守を称し、のち若狭守と改め、また伊豆守に戻した。貞享4年(1687年)、東山天皇即位に当たり京に使する。藤井紋太夫と抗争して屈することなく、主君光圀より忠勤を賞された。 宝永元年(1704年)49歳で死去。長男の義逵が後を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山野辺義清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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