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山陽中学校・高等学校 : ウィキペディア日本語版
山陽高等学校[さんようこうとうがっこう]

山陽高等学校(さんようこうとうがっこう)は、広島県広島市西区観音新町にある私立高等学校
設置者は学校法人広島山陽学園で、おかやま山陽高等学校との関係は特に無い。自由な校風で知られていたが、近年は近隣住民の苦情等を受け、年々規律が厳しくなってきている。また、同校出身の「社長」「会社経営者」の割合は異常に多く、「経営者」の輩出率は県内一と言われている。元々男子校であったが、2011年度から男女共学となった。
== 沿革 ==

*1907年4月8日 - 広島市竹屋村(現・広島市中区宝町; フジグラン広島付近)にて私立広陵中学を運営する鶴虎太郎に、広島市平田屋町(現・広島市中区本通)にて呉服商を営む石田米助が出資。中学校令により文部大臣の許可を得て、私立広陵中学校を設立(校主: 石田米助、校長: 鶴虎太郎)。
*1920年夏 - 石田米助の死後に跡を継いだ長男・石田真一校主と鶴虎太郎校長との間で学校運営をめぐる対立が表面化。
*1920年11月 - 石田真一校主、鶴虎太郎へ校長解任を通告。一連の校主側と校長側との対立が「(第一次)広陵事件」として全国に報道される。
*1921年3月 - 仲裁の結果、学校分割を決定。石田校主側は広陵中学校を山陽中学校に改称するとともに運営母体として財団法人山陽中学校を設立し、理事長兼校長に就任。鶴校長側は田中イト他の出資を得て新たに宇品に財団法人広陵中学校を設立し独立(現・広陵高等学校)。
 *石田真一はその後、山陽高等女学校(現・山陽女学園中等部・高等部)の設立にも携わった。現在の山陽高校と山陽女学園との間に直接的な関係は無いが、両校とも「山陽」の名を冠しているのはこうした関係によるものと思われる。
*1932年3月 - 運営母体「財団法人山陽中学校」を「財団法人石田学園」に改称。
*1933年1月27日 - 山陽商業学校を併設。
*1945年8月6日 - 広島市への原子爆弾投下により学園の全校舎・付属建物及び備品のすべてを焼失。石田賢一校長以下教職員19人・生徒486人死亡。
*1947年3月31日 - 学制改革により新制山陽中学校併設。
*1948年5月3日 - 学制改革により新制山陽高等学校普通科、商業科に改める。
*1948年6月1日 - 高等学校に定時制課程(普通科・商業科)を置く。
*1951年3月13日 - 私立学校法の改正に伴い、運営母体「財団法人石田学園」を「学校法人石田学園」に改組。
*1960年1月26日 - 現在地に工業科(機械科、電気科)を創設。
*1966年4月1日 - 全課程を宝町校地より観音新町校地に移転。
*1967年4月1日 - 石田学園、広島経済大学を開学。本校は付属校として推薦入試枠を持つ。
*1971年 - 広島経済大学校地の法面崩落による復旧工事と近隣農家への損害賠償をめぐり、石田学園の不正経理疑惑が発覚。折からの授業料大幅値上げも重なり、学園経営者側と教職員組合が対立。
*1972年4月1日 - 仲裁の結果、山陽中・高等学校は石田学園より分離され、新たに発足した「学校法人広島山陽学園」の経営する学校となる。中学校生徒募集停止。
*1975年4月1日 - 電気科生徒募集停止。
*1993年4月1日 - 普通科にAコース、体育コース設置、商業科を情報処理科へ改組。
*2000年4月1日 - 普通科に国際情報コース設置。
*2003年4月1日 - 普通科(一般)に選択パック制導入。
*2007年 - 100周年を迎え、グラウンドへの芝生製作、10月28日に100周年記念のイベントが広島県立総合体育館にて開催された。
*2011年 - 男女共学となる。
*2012年 - 情報処理科情報会計科へ改組。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山陽高等学校」の詳細全文を読む



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