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8450形は、かつて日本国有鉄道の前身たる鉄道院・鉄道省に在籍したテンダ式蒸気機関車である。 == 概要 == 元は、1893年(明治26年)8月に山陽鉄道がアメリカのボールドウィン社で6両(製造番号13654 - 13659)を製造した、車軸配置2-6-0(1C)、ヴォークレイン4気筒複式の飽和式テンダ機関車である。メーカーでの種別番号は8-13/32-D、山陽鉄道での形式は5形、番号は26 - 31であった。日本の鉄道におけるヴォークレイン複式の採用例としては、1892年(明治25年)に筑豊鉄道へ導入された1両(後の鉄道院8050形)に次ぐものである。 形態は典型的なアメリカ古典形で、ボイラーはストレートトップ型、第1缶胴上に蒸気ドームが、第3缶胴上に砂箱が設けられていた。また、煙室の側面から端梁にはブレース(支柱)が渡されている。炭水車は3軸で、後位側が2軸ボギー台車とされた、片ボギー式である。 翌年製造された7形(後の鉄道院8350形)は、単式で動輪直径がやや大きい程度の同系車で、シリンダ、固定軸距、炭水車の寸法などが共通していた。 1906年(明治39年)の山陽鉄道国有化にともなって国有鉄道籍となり、1909年(明治39年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程により、8450形(8450 - 8455)と改称された。 山陽鉄道では、瀬野 - 八本松間の急勾配区間(瀬野八)で使用されたが、国有化後は山陰線の豊岡 - 米子間や、山陽線の姫路 - 岡山間で貨物列車の牽引用に使用された後に糸崎に集められ、広島 - 柳井津間で使用された。 廃車は、他のヴォークレイン複式機関車と同時期の1925年(大正14年)5月で、譲渡されたものはないが、炭水車のうち5両が小倉工場で10t積水運車ミ340形に改造され、1928年(昭和3年)の称号規程改正ではミ170形に統合されミ172 - ミ176となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄8450形蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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