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山陽電気鉄道の旧型電車 : ウィキペディア日本語版
山陽電気鉄道の旧型電車[さんようでんきてつどうのきゅうがたでんしゃ]
山陽電気鉄道の旧型電車(さんようでんきてつどうのきゅうがたでんしゃ)
本項では山陽電気鉄道の旧型電車とその発達過程について記述する。
==合併両社の規格差==
山陽電気鉄道は、もともと旧・兵庫電気軌道(兵電)に由来する兵庫駅 - 明石駅(鉄道省明石駅とは別の場所)間の軌道と、その系列会社であった旧・神戸姫路電気鉄道(神姫電鉄)に由来する明石駅前駅(現在の山陽明石駅) - 姫路駅前駅(現在の山陽姫路駅)間の鉄道を母体としている。
旧兵庫電軌区間は軌道法による特許線で実際に併用軌道を主体として建設され、直流600V電化で急曲線の低規格であった。風致地区である須磨周辺の住民の反対等も影響し、一説には松の木を避けて線形が決定された区間があるという。
一方の神姫電鉄区間は、技師長の渡米視察の成果を受けて、当初より本格的な都市間高速電気鉄道として建設された直線主体の良好な線形を備える路線であった。しかも、電化設備については効率の良い架線電圧1,500Vの直流電化とし、架線シンプルカテナリを当初より採用、架線を支える架線柱も鉄塔を基本とするなど、当時のアメリカインターアーバンの最新トレンドを導入しており、中でも特に直流1,500V電化は1923年に電化された大阪鉄道(現・近鉄南大阪線他の前身)に次いで日本国内で2番目、新規開業路線では日本初という意欲的措置であった。
もっとも、それ故に開業時に準備された1形電車については、電装品がほぼ全てゼネラル・エレクトリック(GE)社製、台車はボールドウィン(BW)社製、ブレーキもGE社製、と当時のアメリカのインタアーバン向けとしてはほぼ最新鋭の高級品が輸入(変電所設備も全て輸入品であった)されており、車両各部の国産化が進んだこの時代には珍しく、川崎造船所が手がけた車体以外はことごとくアメリカ製であった。また、集電装置についても1,500V電化で先行した大阪鉄道がパンタグラフ集電を選択していたにもかかわらず、元々高速運転を前提に計画され、線形が直線主体でかなり良くトロリーポール離線する心配がなかったためもあってか、GE社製トロリーポールが搭載されており、この結果神姫電鉄線は日本国内では史上唯一の「ポール集電による直流1,500V電化路線」となった。
このような両社線の極端な規格差異は、合併後も後々まで尾を引いた。このため、直通運転開始にあたっては、旧兵電規格の小さな車両限界をクリアする小型車体で、600V - 1,500V複電圧切り替え機能を搭載した専用車(51・76形(初代))を製造せねばならなかった。
なお、開業時に15両揃えられた神姫1形は全車が51形の第一陣にその主要機器を提供して廃車されたが、旧車体のうち、9両分は当時宇治川電気傘下にあった近江鉄道の電化に際して譲渡され、主要機器を新造の上で同社モハ1 - 9として再起し、残る6両分も1942年に2.74mあった車体幅を唐竹割りにして2.4mに寸法を詰めた上で再度組み立てられ、手持ちの台車などを組み合わせて76形(2代目)制御車として再就役しており、一まとまりの車両としては寿命が約4年と非常に短命であったが、各構成機器や車体そのものは姿を変えつつ全て無駄なく活用されている。
明石を境にあまりに異なる両区間の規格統一作業は戦前から地道に進められていたが、大戦後に予想外の事態によって一気に実現されることとなった。1947年になって、戦中の明石工場焼失等による稼働車数激減への緊急対策として、運輸省からモハ63形の割り当て供給が認められ、この20m級超大型車が800形というモハ63形としての形式番号から63を省略しただけの番号を与えられて(後に700形に改番された)一気に20両導入されたのである。この形式は建設当時から高規格で入線に当たっての地上設備の手直しの必要性が少なかった電鉄姫路駅 - 電鉄飾磨駅 - 電鉄網干駅方面より順に導入されたが、神戸寄り区間についても施設改良と架線電圧昇圧などの措置が順次行われたことでほどなく直通が可能となった。この結果、全線の施設建築限界と架線電圧の統一、それに全車両の集電装置のパンタグラフ化が果たされた。
もっとも、端子電圧750V時の一時間定格出力が140kWにもなる強力主電動機(MT40)を4基搭載ということで当時山陽電鉄が保有していた脆弱な変電所ではその負荷激増に耐えられず、800形は直通運転開始後も変電所増強完了までは直列つなぎ限定で使用されていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山陽電気鉄道の旧型電車」の詳細全文を読む



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