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山高 親之(やまたか ちかゆき、永正6年(1509年) - 永禄9年6月18日(1566年7月15日))は、戦国時代の武将、甲斐武田家臣。山高信之の子。通称・石見守。 山高氏は甲斐武田氏の分流で、甲斐国巨摩郡山高を領した。親之は武川衆十二騎でも随一と称されたという。武田信虎・信玄の二代に仕え、後に信玄の弟武田信繁配下となる。永禄4年(1561年)川中島の戦いに出陣するが、信繁はこの合戦で討死してしまう。そこで親之はその首級を敵より奪還し、信玄の下へ帰還した。永禄9年(1566年)没し、父と同じく山高村の高龍寺に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山高親之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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