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『山魔の如き嗤うもの』(やまんまのごときわらうもの)は、三津田信三による日本の推理小説・ホラー小説。刀城言耶シリーズの第4長編。 単行本は、2008年4月28日に原書房〈ミステリー・リーグ〉より書き下ろしで刊行された。文庫版は、2011年5月13日に講談社文庫より刊行された。装丁は、単行本がスタジオ・ギブ(川島進)、文庫版が坂野公一+吉田友美(welle design)による。装画は単行本・文庫版ともに村田修が手がけている。 2009年度第9回本格ミステリ大賞(小説部門)の候補作となる〔第9回本格ミステリ大賞 | 本格ミステリ作家クラブ 〕。「本格ミステリ・ベスト10」2009年版(国内部門)1位、『ミステリが読みたい! 2009年版』(国内編)2位、『このミステリーがすごい!』(2009年、国内編)8位、「週刊文春ミステリーベスト10」(2008年、国内部門)7位など、各種ミステリ・ランキングで上位にランクインしている。 小説家の芦辺拓は「様々な魅力をたたえた傑作の1つ」と評価している〔『山魔の如き嗤うもの』文庫版 解説〕。小説家の柴田よしきは「謎の提示にもその解き明かし方にも無駄がなく、しかも物足りなさを感じさせない作品」と評価している〔『山魔の如き嗤うもの』 : 今日の一枚 しばたのブログ 〕。 == あらすじ == 1954年2月、靖美から「忌み山の一夜」という原稿が届く。それには、彼が成人参りの最中に不気味な山の中で赤ん坊の泣き声をきいたり、山女郎と思える老婆を見たりといった怪異や、乎山で立一とその家族が密室状態の家から消え去るという変事に遭遇したことなどが書かれていた。4月上旬、言耶は、靖美が遭遇した怪異や変事の謎を解くために奥戸へ向かう〔1953年の晩秋、媛首村を目指していた言耶は、阿武隈川烏とともに滑万尾の駅へ向かう列車の中で高屋敷元から山魔という化け物の話をきいたため、急遽予定を変更し、奥戸の地を訪れている。〕。 奥戸に着いた言耶は力枚に、乎山とその中にある一つ家について伺う。20年前、吉良内という山師が奥戸を訪れて立造と懇意になり、乎山で金脈が見つかれば儲かるという話を持ちかけたところ、立造はその話に飛びついたという。そして、吉良内と4人の鉱夫の屍体が六墓の穴のそれぞれの穴に1人ずつ入れられて見つかったことから、立造が5人を殺して5つの穴の中に屍体を遺棄して逃げたとされたという。翌朝、言耶と力枚は乎山を目指す。乎山の一つ家に着いた言耶と力枚は、密室と化した家の中で、頭部を燃やしながら倒れている立治を発見する。立治は白地蔵の白い前掛けをし、山を登っているような格好をしていた。神戸地方に伝わる奇妙な童唄に見立てているのではないか、と言耶は考える。続いて、言耶は黒地蔵の祠の前で月子がうずくまっているのを見つける。そしてその祠の中で、黒い前掛けをつけた広治の惨殺屍体が発見される。 翌朝、行方不明になった力枚を探していた言耶は、六墓の穴で赤い前掛けとともに切断された力枚の遺体を見つける。続いて、鍛炭家で志摩子、団伍郎、春菊の3人が一度に殺害される。3人はそれぞれ青色、黄色、金色の前掛けをつけていた。将夫によると、立治は乎山に入って立造を捜していたとき、「山魔の嗤い声をきいた」と語ったという。言耶はショックを受けている立春から話をきき、鍛炭家での惨劇の様子を知る。立春は3人が殺された後、犯人が例の童唄を歌っていたという。また犯人は、右手に玄翁、左手に懐中電灯を持ち、ローソクを頭の両側に立て、兵隊服を着ていたという。言耶は調べものをするためにいったん東京に戻るが、奥戸に戻った彼は、数々の謎に対する自らの考えを述べ始める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山魔の如き嗤うもの」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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