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山鼻村(やまはなむら)は、北海道の藻岩山山麓、石狩川支流豊平川下流左岸部にあった村である。札幌郡に属した。現在の札幌市中央区南部及び南西部、南区の一部の地域に相当する。東北地方出身の屯田兵によって本格的に開拓が始められ、農業・畜産が盛んであった。 == 沿革 == * 1870年 - 現在の札幌市中央区南7条西8丁目に東本願寺管刹所(現真宗大谷派札幌別院)が開設される * 1871年 - 東本願寺・八垂別(はったりべつ)間にハッタリベツ新道(後の石切山道(現石山通)の原型)を開削。また、同寺東側に本願寺百姓と呼ばれた新潟県からの移民、及び本府(札幌中心部)からの移住者計50戸が入植し、「辛未一(しんぴいち)の村」と称したが、開拓使の方針により〔『札幌市史 政治行政篇』、札幌市史編集委員会編、66頁。〕、円山村・琴似村へ再入植 * 1874年 - 寄留農民数戸が石切山道沿いの上山鼻(現藻岩下)・下山鼻・伏見・鴨々川沿に入植し、山鼻村開村。村域は「南方ハッタリヘツ迄石切山道筋左右」 * 1876年 - 仙台藩・盛岡藩・会津藩・津軽藩などの東北地方の元士族240戸、男女1,114人が屯田兵として移住。琴似に次ぐ2つ目の屯田兵村であり、国道230号の石山通を境に東屯田及び西屯田に分かれて入地、本格的に開墾が始まる。現在の中央区南14条西11丁目辺りに屯田中隊本部が置かれた * 1880年 - 山鼻村及び円山村の戸長役場が当村の戸長宅に置かれ、90年に独立庁舎が新築される * 1887年 - 八垂別が山鼻屯田兵の給与地となる。後、土地を手放す者が相次ぎ、自作農や屯田小作人として入植した者によって、漸次開拓が進められた * 1898年 - 和歌山県出身の屯田兵小村亀十郎が白川地区の開墾を委託され、翌年白川道路を開削。その後十数戸が入植 * 1906年 - 円山村と合併し、藻岩村大字山鼻村となる 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山鼻村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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