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岐部 哲也(きべ てつや、1955年5月12日 - )はオウム真理教の元幹部。ホーリーネームはマハーカッサパ。大分県出身。省庁制が採用された後は「防衛庁長官」となる。 == 来歴 == 大分県立大分舞鶴高等学校を経て阿佐ヶ谷美術専門学校でデザインを専攻した。卒業後はデザイン会社に就職しデザイナーをし、レコードジャケットの制作に携わる。 1986年9月に教団前身のオウム神仙の会に入信。付き合っていた女性がオウムに入信したのをやめさせようと一緒に通ううちに傾倒した。1987年6月に出家。入信後もオウム真理教の出版物の装丁など、デザイン関係を手がけていた。写真撮影の技術にも優れており、教祖「麻原彰晃の空中浮揚」写真も岐部が撮ったものである。 1990年の第39回衆議院議員総選挙に真理党公認で、当時の旧東京10区から立候補して落選した。 1995年4月8日に無断で地下駐車場に侵入した建造物侵入罪で逮捕された。裁判の結果、懲役1年の実刑判決を受けた。建造物侵入行為自体は大きな実害をもたらしてはいない罪状で前科のない者が執行猶予が付かずに実刑判決になるのは異例であるが、密造された自動小銃部品の隠匿という計画の悪質さと部下の信者を違法行為に巻き込んだ教団幹部の責任を重く判断されたためであった。オウム事件で実刑判決が確定したのは初めて。翌年に府中刑務所を出所した。 その後、教団には戻らず身元引受人となった栃木県の寺院で過ごした後、四国で家族と暮らす。 2004年7月7日、警察庁長官狙撃事件において岐部に酷似した人間が狙撃犯の逃走ルートとは反対方向である警察署の前を自転車で通ったとする複数の目撃証言から、狙撃役の逃走を支援するダミー役を果たしていた疑いが強いと警察に判断され、殺人未遂容疑で逮捕されたが、証拠不十分で7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岐部哲也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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