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岡山金属バット母親殺害事件(おかやまきんぞくバットははおやさつがいじけん)とは、少年が母親を金属バットで撲殺した事件。殺人の動機としては、高等学校の部活動でいじめを受けていたのが背景にあるといわれている。 == 事件の概要 == 2000年(平成12年)6月21日、岡山県内の公立学校の野球部員の少年(当時17歳・高校3年生)(以下、少年A)が練習中に突然そばにいた部員4人をバットで殴り逃走〔佐野(2008)、pp.81-82〕。少年Aは自宅に戻った後、居間でテレビを見ていた母親(当時42歳)をバットで殴打し逃亡〔佐野(2008)、p.83〕。母親はほぼ即死状態だった〔。 少年Aは去年の秋から日常的に後輩集団に自身の動作のまねをされたり、所属の野球部でからかわれるなどのいじめを受けていた。事件当日は雨天のため高校の武道場で部活を行っていた〔佐野(2008)、p.81〕。少年Aは、普段から自身をからかうなどしていた後輩ら四人をバットで殴打し、重軽傷を負わせた〔佐野(2008)、p.82〕。その後、自宅において別のバットで母親を殴打し殺害した〔。これらの犯行は、いじめにより蓄積された怒りで突然キレたことが原因ではないかとでは推測された。また母親を殴打・殺害したのは、自分が野球部員の少年を殺して殺人者になったと早合点し、そのまま母親が生きていれば不憫であると思ったためであるという。 午後5時40分ごろに学校から殴打事件の知らせを受けて帰宅した父(当時46歳)が、頭を殴られて倒れている母親を見つけた〔佐野(2008)、p.84〕。近くに血のついた金属バットと、男子生徒が着ていたユニホームが脱ぎ捨てられていた。母親は病院に運ばれたが既に死亡していた。 少年Aはその後、携帯ゲーム機・ゲームソフト・ゲームの攻略本・B5判の家計簿・カードゲームおよび現金20万円を持ち、高校の修学旅行で行った北海道へ自転車で逃走しようとした。事件から16日後の7月6日に秋田県本荘市で発見され、身柄を確保された〔。少年は8月に特別少年院送致の保護処分が確定した〔佐野(2008)、p.86〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡山金属バット母親殺害事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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