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岡嶋清熊 : ウィキペディア日本語版
岡嶋清熊[おかじま きよくま]

岡嶋 清熊(おかじま きよくま)は熊本県出身の海軍軍人。海兵63期。
==経歴==
熊本中学を経て、1932年(昭和7年)4月海軍兵学校63期に入隊。1936年(昭和11年)3月19日卒業、少尉候補生。アメリカ・ニューヨークまでの遠洋航海に出る。1937年4月少尉任官。
1941年12月太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃に参加。
ミッドウェー海戦後、岩国航空隊教官に転出。
203空飛行長。兼戦闘303飛行隊長。1944年10月末、フィリピンで神風特攻隊が開始。201空の角田和男によれば、岡嶋少佐は特攻に反対で、全員引き連れて内地に帰ると言っており、「特攻は邪道である。内地に帰り再編成の上、正々堂々と決戦をすべきである。203空からは一機の特攻も出させぬ」と頑張り、士官室で全員特攻を唱える201空飛行長の中島正少佐と激論を交わしたという〔碇義朗『紫電改の六機』光人社NF文庫197頁〕。
もっとも、結果的に203空から特攻隊員は選抜されており、戦闘303からも出ている。その後、特攻隊員以外の岡嶋らは内地に帰還した〔碇義朗『紫電改の六機』光人社NF文庫197-199頁〕。
沖縄戦参加。この頃、戦闘303に着任した土方敏夫によれば「戦闘機乗りというものは最後の最後まで敵と戦い、これを撃ち落として帰ってくるのが本来の使命、敵と戦うのが戦闘機乗りの本望なのであって、爆弾抱いて突っ込むなどという戦法は邪道だ」という信念の持ち主であり、あの時分、上層部からは国賊とさえ呼ばれていたという〔「特攻最後の証言」制作委員会『特攻最後の証言』アスペクト266頁〕。
1945年8月15日終戦。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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