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岡本 理帆(おかもと りほ、1994年4月13日 - )は、静岡県静岡市清水区出身の、日本人の女子柔道選手である〔「解体新書 岡本理帆」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年2月号、26-29頁〕。階級は48kg級と52kg級。身長158cm。血液型はO型。組み手は左組み。段位は初段。得意技は体落〔「柔道全日本強化選手名鑑 2013」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年4月号〕。現在は国士舘大学に在学〔 スポーツニッポン 2012年9月9日〕。 ==経歴== 柔道は5歳の時に始めた〔 MSN産経ニュース 2012年8月18日〕。8歳の時には父親が娘のために開設した錬心館岡川道場で柔道に取り組むことになった。父親は家庭においても娘と一緒に試合のビデオを見ていると、いきなり立ち上がって指導を始めることが日常茶飯事であったという〔。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するが、予選リーグで神奈川県代表の山本杏に一本負けするなどして決勝トーナメントには進めなかった。藤枝順心中学2年の時には、全国中学校柔道大会44kg級準決勝で市場中学の森下麻衣に判定で敗れて3位だった。3年の時は決勝まで進むが、前年に続いて世界カデチャンピオンの森下に判定で敗れて2位にとどまった。中学卒業直後に出場したテューリンゲン国際カデ大会では優勝を飾った〔。 藤枝順心高校に進学すると、2年生になって全国レベルで活躍し始めて、2011年8月のインターハイ48kg級では準々決勝で宮崎商高1年の山田樹に判定で敗れるが5位となった。9月の全日本ジュニアでは準決勝で筑波大学1年の遠藤宏美に指導2で敗れて3位だった。11月の講道館杯では準々決勝でまたも遠藤に指導2で敗れるが、3位決定戦では近畿大学3年の十田美里を技ありで破って3位となった〔。12月のワールドカップ・チェジュではシニアの国際大会に初出場ながら優勝を飾った〔 柔道サイト eJudo〕。 2012年になると、3月の全国高校選手権52kg級(この大会には48kg級は設けられていないので52kg級に出場した)では、決勝で昨年のインターハイで敗れた山田を判定で破って優勝した〔。5月の選抜体重別48kg級では、初戦でこの階級のオリンピック最有力候補であり、世界選手権を2連覇しているコマツの浅見八瑠奈を積極的に攻め立てて2-1の判定で破る金星を挙げた。この結果により浅見のロンドンオリンピック出場への道が断たれることになった〔 サンケイスポーツ 2012年5月13日〕。 さらに、準決勝でも今まで2連敗していた世界ジュニアチャンピオンの遠藤を判定で破って決勝に進出すると、決勝では了徳寺学園職員の福見友子に0-3の判定で敗れたものの2位となり、一躍注目を集めることとなった〔 日刊スポーツ 2012年5月13日〕〔 日刊スポーツ 2012年5月13日〕。浅見に関して柔道部監督の沼野由香利は、「左釣り手で奥襟や背中を掴んで攻め続ければ、浅見はそのような組み手が得意でないので勝てる」と岡本にアドバイスしていたことが現実のものとなった。この一戦を契機に奥襟を積極的に取りに行く柔道に変わっていったという(但し、パワーのある外国選手に対しては前襟から取りに行くので、相手によって使い分けている)〔。8月のインターハイ決勝では大成高校2年の近藤亜美を有効で破って優勝を飾ると、9月の全日本ジュニアとアジアジュニアでも優勝を成し遂げた〔 日刊スポーツ 2012年9月8日〕。11月の講道館杯では準決勝で十田美里に技ありで敗れたものの、昨年に続いて3位となった。12月にはグランドスラム・東京に出場するが、初戦で三井住友の山岸絵美に技ありで敗れた〔 日刊スポーツ 2012年11月30日〕。 2013年2月のヨーロッパオープン・ソフィア決勝では、山梨学院大学1年の山崎珠美から技ありと有効2つのポイントを積み重ねると、最後は大内刈で一本勝ちして優勝を飾った〔 スポーツ報知 2013年2月4日〕。追加招集となったグランプリ・デュッセルドルフでは、準決勝でロンドンオリンピック銅メダリストであるハンガリーのチェルノビツキ・エーヴァに指導3でリードされながら、終盤に内股の有効で逆転勝ちすると、決勝では韓国の鄭普涇から先に指導3を取るが、その後小内巻込で有効をリードされたものの、終了12秒前に相手の掛け逃げで反則勝ちとなり、優勝を果たした〔 時事通信 2013年2月24日〕。 3月には新たに南條充寿が監督となった全日本代表チームにおける初めての強化合宿に参加したが、その際に「いい形で練習・合宿できたりするのを考えてくれていると思うので、私たちは先生を信じてこれからやっていきたい」と述べた〔暴力問題発覚後 初の合宿 TVでた蔵 2013年3月28日〕。 4月には国士舘大学に進学した。5月の体重別では初戦で常翔学園教員の伊部尚子に指導3で敗れた。続いて世界ランキング上位選手で競われるワールドマスターズに出場すると、準決勝でロンドンオリンピック金メダリストであるブラジルのサラ・メネゼスに小外掛で敗れたが、3位決定戦ではロンドンオリンピック銅メダリストであるベルギーのシャルリーヌ・ファンスニックから内股で2度有効を取って優勢勝ちした。7月にはロシアのカザニで開催されたユニバーシアード代表に選ばれたものの、ケガの影響もあって計量を受ける前に棄権した。これにより、全柔連が5月に定めた国際大会における計量失格による罰則の適用を受けることになり、強化指定選手から除外されることになった〔 日刊スポーツ 2013年7月20日〕。 2014年9月には階級を52kg級に上げて全日本ジュニアに出場するが、7位にとどまった〔〕。 2015年からは再び階級を48kg級に戻して、東京都女子選手権大会で優勝した〔〕。体重別団体では準決勝で山梨学院大学と対戦して山崎と引き分けるが、チームは敗れて3位だった〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡本理帆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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