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岡本 達也(おかもと たつや、1986年9月19日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 == 来歴 == 小学校時代からのジュビロ磐田育ちで、ユースでは藤井貴との2トップで得点を重ね、上田康太らと共にユースの黄金時代を象徴する選手として、トップチームへの昇格を果たした。しかし優れた得点力とオールマイティな能力を持つ反面、突出した特徴のアピールができず、またスピードに欠ける弱点を克服できずに出場機会を得ることがなかなかできなかった。 本人が大学への進学を希望した事により(クラブ側から監督の構想外であることから進学を勧められた、という報道もある。ちなみに岡本は進学校である磐田南高校の出身である)、2006年シーズンの契約をもってチームを退団した。2007年3月8日、本人より順天堂大学への入学が決定したとジュビロ磐田会員専用サイト内にて発表。また大学進学後もサッカーを続け、スピードという弱点を克服してJリーグの舞台への復帰を目指すともコメントしている。その経歴から、順天堂大学でも1年生ではあるが早々にレギュラーFWの一角として活躍、同年関東大学リーグの新人王も獲得した。 1年生で出場した天皇杯では、3回戦でベガルタ仙台を相手に延長後半に2得点を挙げ、チームの勝利に貢献した。また、4回戦で古巣のジュビロ磐田と対戦し、チーム唯一の得点をマーク。試合には負けたものの、試合前、および試合後にはジュビロサポーターからも大きな声援を受け、人気の高さがうかがえた。 順天堂大学では2009年に得点王とアシスト王の2冠に輝き、1年での1部復帰に大きく貢献した。岡本選手は学業優秀でトップクラスの成績で卒業した。 2011年に水戸ホーリーホックへ入団。ジュビロ時代以来5年ぶりにJリーグへ復帰した。水戸ではゴールを決めると胡坐をかいて「大仏」のポーズを取るパフォーマンスを行なうことが多く、クラブではこの写真を使ったポスターも公式に発売していた。 2012年12月15日に高校の同級生と結婚。同年日本プロサッカー選手会副会長に就任。 2013年、ガイナーレ鳥取に完全移籍。同年、日本プロサッカー選手会監事に就任〔JPFAとは 組織 日本プロサッカー選手会 役員 〕。2014年には、チームキャプテンを務める。2015年1月、契約満了により退団。同年2月、自身のブログで現役引退を発表した。 2015年3月、アマチュア選手として東京都社会人サッカーリーグ1部所属のCriacaoに入団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡本達也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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