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岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 2012年1月21日)は、日本の小説家。国文学者。 == 略歴 == 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。 1955年、「百合の記憶」が「文藝」全国学生小説コンクール佳作第一席として青柳和夫〔岡松和夫―第74回芥川賞受賞作家 〕の筆名で『文藝』に掲載される。この時の佳作同期に大江健三郎がいる。1956年に国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。翻訳家の平井呈一の姪である瀬山梅子と1957年に結婚。横浜学園高等学校に勤務。 1959年に「壁」で第9回文學界新人賞受賞。1964年に立原正秋が編集長格の同人誌『犀』に参加。ほかに加賀乙彦、佐江衆一、後藤明生、高井有一らも参加していた。 1966年に関東学院短期大学国文科専任講師に就任、1968年に助教授となり、1973年には教授へ昇任。 作家としては1974年、「墜ちる男」で第70回芥川龍之介賞候補、「小蟹のいる村」で第71回芥川龍之介賞候補となり、1975年、「熊野」で第72回芥川龍之介賞候補になった。翌1976年、「志賀島」で第74回芥川龍之介賞を受賞した。 1981年、研究者としてブラジルのサンパウロに滞在。1985年、「面影」で第12回川端康成文学賞候補となり、1986年に『異郷の歌』で第5回新田次郎文学賞、1998年には『峠の棲家』で第2回木山捷平文学賞をそれぞれ受賞した。 国文学者としては一休宗純の研究などを行っていた。 2012年1月21日、肺炎のために逝去〔作家の岡松和夫氏が死去「志賀島」で芥川賞 産経新聞 2012年2月1日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡松和夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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