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岡田幸喜 : ウィキペディア日本語版
岡田幸喜[おかだ ゆきよし]

岡田 幸喜(おかだ ゆきよし、1942年11月5日 - )は、長崎県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、117ページ〕出身の元プロ野球選手
== 経歴 ==
鎮西高校では三塁手としてプレー〔。1962年阪急ブレーブスへ入団し、捕手へと転向した〔。
二軍では強打の捕手として活躍するも一軍では岡村浩二が正捕手としていた為、控え捕手としての出場が多かった〔。
1969年の日本シリーズ第4戦では正捕手の岡村が4回裏に退場。その後は中沢伸二がマスクを被っていたが、代打が出た関係で岡田が8回からマスクを被ることになった。その回に岡田は岡村退場の報復としてサイン違いを装って投手からの投球をわざと捕球せず、岡田功球審を投球の的にするという危険行為に出た。この行為は相手監督の川上哲治や翌日の朝日新聞の朝刊などで批判された〔朝日新聞縮刷版p.1001〕〔1969年11月3日付読売新聞〕。
1976年に現役引退〔。1978年から1981年まで阪急で二軍コーチを務める。コーチ退任後は同球団のスコアラーを2002年まで務め〔、球団合併後も球団職員として活動した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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