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岡田晟(おかだ あきら、1913年‐?)は、日本の漫画家。山梨県甲府市出身。つげ義春の「義男の青春」の「田山先生」のモデルとして知られる。昭和初期のモダニズムの影響を強く受けた生活ぶりであった〔「夜行」(北冬書房)第18号〕。 == 来歴 == *甲府市鹿島小学校に通う。同級に漫画家倉金章介、脚本家菊島隆三がおり、以降親交が続く。 *甲府商業高校卒業。 *明治大学商科へ進学するが、中退。 *戦前より子供漫画、挿絵、絵本の仕事などに携わる。 *戦時中は映画会社茂原映画研究所に勤務。海軍の要請で「実貨映画」という兵隊向けの実質的には訓練のための教育用アニメを製作。当時生活に困っていた漫画家の杉浦茂・帷子進や挿画家の荒井五郎も同じ職場で働いていた。 *戦後は進駐軍相手の似顔絵描き、貸本漫画家、貸本表紙、装丁一手引き請負業などを営む。終戦の翌年の紙芝居の東京の全盛期には、貸本が盛期になるまで紙芝居も経験し、当時加太こうじと知り合う。 *80歳当時まで、上野にて似顔絵描きとして生計を立てる。自宅でも依頼により肖像画を描く。この当時は東大宮で息子と2人暮らし。 == 人物 == *本好きで小学校ころから探偵小説、推理小説などに強くひかれる。アルセーヌ・ルパン、シャーロック・ホームズなどを愛読。 *漫画における怪談物の発案者。ひばり書房の経営者を企画面で全面的にバックアップしていたが、ある日今度はどんなものが当たりますかねえ、と相談され「怪談をおやりになったら」と提言したところ大当たりした。描き手には、いばら美喜、古賀新一、小島剛夕、楳図かずお、池川伸治がいた。 *つげ義春に文学、クラシック音楽、コーヒーを教える。2人は池袋西武デパート前の「小山」という喫茶店でよく会っていた。つげはここでコーヒーの味を覚えた〔つげ義春を旅マップする【山手線のつげ義春Ⅰ】 〕。 ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡田晟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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