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岡田棣 : ウィキペディア日本語版
岡田棣[おかだ なろう]
岡田 棣(おかだ なろう、天保6年12月21日1836年2月7日) - 明治30年(1897年8月17日)は幕末期における加賀藩前田家の家臣である。幕末において藩の軍艦頭取を務め明治初年に参政に登用され参事・大参事を務めた。その後幕府の命によりアメリカ・ヨーロッパを視察した。帰国後前田家の家扶を務め晩年にかけて将棋に関する書籍を収集。没後、将棋に関する蔵書を遺言により帝国図書館、現在の国立国会図書館へ寄贈した。
== 誕生から安政時代 ==
天保6年(1835年)12月21日に金沢で生まれる。小松馬廻番頭兼小松町奉行の父、岡田正之と小幡藩士の娘の母との長子として誕生。初名は正忠、通称を雄次郎としたが後にこれを廃して名を棣(なろう)と改めた。弘化4年(1847年)10月に父が死去し、翌嘉永元年(1848年)14歳で家を継いだ。同3年(1850年)馬廻組に入り翌年大小姓となる。安政元年(1854年)、20歳の時にマシュー・ペリー相模湾に再来、幕命により加賀藩士らと芝増上寺を警護する。安政3年(1856年)4月から安政5年(1858年)8月まで高岡町奉行を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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