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岡部健二 : ウィキペディア日本語版
岡部健二[おかべ けんじ]

岡部 健二(おかべ けんじ、1915年大正4年)4月5日 - )は、大日本帝国海軍軍人戦闘機搭乗員。
操練38期。最終階級は少尉
== 経歴 ==
福岡県福岡市出身。旧制修猶館中学卒業後、海兵団に入団。搭乗員を志し、1937年(昭和12年)3月10日操縦練習生となる。同期生に坂井三郎(首席)。
同年11月30日、操縦練習生課程を修了し、佐伯海軍航空隊に配属された。その後大村海軍航空隊を経て、昭和13年7月にいよいよ戦線を担う第十二航空隊に配属、中国大陸で任務に就いたものの、空戦の機会にあいまみえることはなかった。
翔鶴飛行機隊に転属して間もなく太平洋戦争開戦を迎え、ハワイ・真珠湾攻撃で母艦直衛任務を実施。
1942年(昭和17年)のセイロン沖海戦にて4月9日トリンコマリー攻撃に参加し、イギリス空軍ホーカー ハリケーン2機を撃墜。これが初戦果となった。同年5月8日珊瑚海海戦で上空直衛の任に当たり、艦爆8機を撃墜(うち不確実3機)したが、母艦が損傷したため不時着水し救助された。1943年(昭和18年)7月、再度翔鶴に乗り込んで11月1日にラバウルに進出。その後再び大村航空隊に転属となり、大分分遣隊附先任教員。1944年(昭和19年)7月に第六三四海軍航空隊に移った。10月、捷一号作戦発動により沖縄台湾を経てフィリピンに進出、レイテ沖海戦に参加。年末に本土に帰還し、第六〇一海軍航空隊隷下戦闘第308飛行隊〔蒼空に捧ぐ 戦闘第308飛行隊の軌跡 〕に転属、終戦を迎えた。
終戦までの撃墜数は15。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岡部健二」の詳細全文を読む



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