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岡部明一 : ウィキペディア日本語版
岡部明一[おかべ あきひと]

岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )は、大阪府堺市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、118ページ〕出身の元プロ野球選手外野手)。
== 来歴・人物 ==
PL学園高校では、夏の甲子園府予選準々決勝に進出するが、近大附高に惜敗。卒業後は中央大学へ進学。東都大学リーグでは在学中優勝に届かず、秋季リーグでは二部降格も経験。しかし強打の外野手として活躍し、の中央大学選手賞を獲得した。同年の日米大学野球選手権大会にも出場し、2ランホームランを打っている〔。リーグ通算59試合出場、181打数50安打、打率.276、7本塁打、21打点。ベストナイン1回。1984年のドラフト3位でロッテオリオンズに入団〔。
入団当時和製ソレイタと評価され即戦力として期待される。しかし、に右肘を故障。オフに軟骨の除去出術を受けるが、術後も成績は振るわずオフには早くもトレード要員に名前が挙がる。交換要員の関係でトレードは流れ、には52試合に先発出場を果たし、11本塁打を記録する。しかし打率は低迷し、翌年から西村徳文が外野手に回ったこともあって出場機会が減少。11月に戦力外通告を受け現役引退〔。
引退後はロッテスカウトに就任、2005年に退団した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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