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岡部達[おかべ たつ]
岡部 達(おかべ たつ〔と記載。〕、1934年11月17日〔と記述。〕 - )は、日本のアナウンサー。 日本統治時代の台湾台北市出身〔と記述。〕。ラジオ東京→TBS〔1960年11月29日より、東京放送へ社名変更。2001年10月にラジオ部門がTBSラジオ&コミュニケーションズへ、2009年4月にテレビ部門がTBSテレビへそれぞれ分離され、放送持株会社「東京放送ホールディングス(TBSHD)」となった。〕で活動していた。
== 経歴・人物 == 早稲田大学教育学部〔と記述。〕を卒業して〔外部リンク(TBSアナウンススクール講師一覧)〕1957年4月にラジオ東京(現・TBS)へアナウンサー5期生として入社(同期には青柳純一、金坂光春、仁村秀雄、山本文郎、麻生雅子、石川知子、大場ゆかり、草間範子、佐藤美智子、鈴木美江、須藤孝子、前田和子、町田教子、三好和子)。主にスポーツ実況(野球、ボクシング、フィギュア、ラグビー、アイスホッケー)やラジオDJを担当していた。1963年11月1日に報道局運動部兼ニュース部アナウンサーとなる。1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴い報道局運動部兼アナウンサー研修室付、1970年7月にラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道運動部勤務の後〔、1977年3月にラジオ本部アナウンス室(1983年6月29日にラジオ本部アナウンス部に組織変更)のみ所属となる〔。近代オリンピックでは1964年(東京)と1972年(札幌)の二度にわたり実況を担当〔。このうち、札幌の開会式ではテレビ中継を担当した〔。ボクシング中継では具志堅用高のWBA世界Jフライ級(ライトフライ級)チャンピオン初挑戦(対ファン・ホセ・グスマン)を担当〔以来、13回目のタイトル防衛戦まで担当した(王座陥落の14回目は、平原晋太郎が担当)。1986年5月に秘書室へ異動〔しアナウンス職から離れる。 1988年2月のテレビ本部社会情報局異動〔後は、4月から1992年3月までの4年間城戸真亜子と共にワイドショー番組『3時にあいましょう』のメインキャスターを務めた。 1992年6月にテレビ総局ネットワーク局JNNネットワーク協議会事務局へ異動〔後、1994年11月にTBSを定年退職〔。定年退職後は、短期大学講師やTBSアナウンススクール特別講師を務める〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岡部達」の詳細全文を読む
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