翻訳と辞書
Words near each other
・ 岡野史佳
・ 岡野哲
・ 岡野均
・ 岡野守也
・ 岡野宏典
・ 岡野崇宏
・ 岡野工業
・ 岡野左内
・ 岡野幸裕
・ 岡野弘之
岡野弘子
・ 岡野弘彦
・ 岡野忠元
・ 岡野恒也
・ 岡野憲一郎
・ 岡野憲治
・ 岡野敬次郎
・ 岡野昌弘
・ 岡野昌雄
・ 岡野明仁のオールナイトニッポン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

岡野弘子 : ウィキペディア日本語版
岡野弘子[おかの ひろこ]

岡野 弘子(おかの ひろこ、女性、1976年5月25日 - )は、日本の元バレーボール選手である。ニックネームはヒロ。元プレミアリーグ岡山シーガルズに所属していた。
== 来歴 ==
父親が転勤族の一家の次女として愛媛県で生まれ、その後金沢市に移住した。小学3年次に実姉がバレーボールをやりたいと言いだし、両親はバレーボールチーム(南小立野スポーツ少年団)を作り、監督・コーチとなった。弘子もごく自然のなりゆきでバレーボールを始める。富山を経て、大阪府高槻市に転居。
高槻二中ではエースアタッカーだったが、帝国女子高校監督(当時)の河本昭義に指導を受ける機会を得、河本からセッター転向を勧められる。勧めに応じるまま、大阪国際滝井高校(帝国女子高校から校名変更)入学後にセッターとなり、春高バレーで主将兼セッターとして優勝に貢献した。
高校卒業後は、河本が監督として移籍していたVリーグの東芝シーガルズ(当時)に入部。1999年東芝休部に伴い、クラブチームとなったシーガルズへ移籍。さまざまな苦労を高校同期の森和代とともに乗り越えて、次第にシーガルズをVリーグ中位のチームへとのし上げていった。
2008年4月、Vリーグ出場試合が251試合となり、2007年にリーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』の表彰基準を達成したため、長期活躍選手として特別表彰された。
2009年4月、全日本女子代表メンバーに登録され、バレーボール・ワールドグランプリで代表デビュー。2011年度よりチーム主将を務めた〔Vリーグ公式サイト - プロフィール 〕。
2013年5月4日、黒鷲旗全日本選抜大会の準々決勝でチームが敗退した直後、この試合を最後に現役引退することを発表した。Vリーグ歴代2位となる363試合に出場した。〔山陽新聞 岡野弘子主将が引退表明

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岡野弘子」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.