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岩下敬輔 : ウィキペディア日本語版
岩下敬輔[いわした けいすけ]

岩下 敬輔(いわした けいすけ、1986年9月24日 - )は、鹿児島県伊集院町(現:日置市)出身のプロサッカー選手Jリーグガンバ大阪所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
== 来歴 ==
鹿児島実業高等学校在学中の2005年に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を経験。この年、清水エスパルスに入団。中学年代までは攻撃的なポジションで鹿児島県選抜に選ばれた。足元の技術も高さを当時の監督長谷川健太に買われ、5月1日の大宮戦でボランチとしてデビューし、その後も本職のセンターバックだけでなくサイドバックなども任された。3年目の2007年J1第22節 対アルビレックス新潟戦に先発出場し、後半17分にCKからプロ入り初ゴールとなるヘディングシュートを決めた。しかし、それ以降は中々定位置を掴めなかった。
2009年、退団した高木和道に代わりセンターバックのレギュラーとして定着。2009年10月、チームメイトの山本海人とともに日本代表に初選出された〔AFCアジアカップ2011カタール予選Aグループ(10/8@アウトソーシングスタジアム日本平)キリンチャレンジカップ2009 ALL FOR 2010!(10/10@日産スタジアム 10/14@宮城スタジアム)日本代表メンバー - 日本サッカー協会(2009年10月1日)〕。
2012年、開幕からレギュラーとして起用されるも安定感に欠けたプレーが目立ち、次第に出番が減少していった。同年8月ガンバ大阪へ期限付き移籍〔DF岩下敬輔選手 ガンバ大阪に合流 - ガンバ大阪公式サイト(2012年8月7日)〕。加入当初は、負傷離脱中であった加地亮の穴を埋めるため右サイドバックで起用され、加地復帰後はセンターバックとして起用された。しかし、チームは不振から抜け出せずJ2降格となってしまった。
2013年、複数のJ1クラブからオファーを貰うも〔G大阪岩下残留か、近日中に決断 - 日刊スポーツ(2013年1月3日)〕、ガンバ大阪への完全移籍を選択した〔岩下敬輔選手ガンバ大阪へ完全移籍決定のお知らせ - 清水エスパルス公式サイト(2013年1月12日)〕。シーズン序盤はセンターバックでスタメン出場を続けるも、J2第26節東京V戦で右足関節捻挫の怪我で戦線離脱。以降、練習には何度か復帰するも再発を繰り返し、実践復帰は最終節群馬戦まで長引いてしまい、出場数はリーグ戦半分以下の17試合に留まった。
2014年は開幕から定位置を奪回しシーズン通してレギュラーとして活躍。リーグ戦は出場停止となった2試合を除く32試合に出場し、失点数リーグ2位タイに抑えたディフェンス陣を牽引。清水時代からの恩師である長谷川監督にタイトルをもたらし、ガンバのリーグ優勝さらに国内三冠に大きく貢献した。
2015年5月10日、明治安田生命J1リーグ1stステージ 第11節サンフレッチェ広島戦において、プレーとは関係のない場面で相手チームの清水航平に肩と肘をぶつけるという行為を行い、Jリーグ規律委員会から厳重注意処分を受けた〔「明治安田生命J1リーグ 1stステージ第11節サンフレッチェ広島戦」における、岩下敬輔選手の行為についてのお詫び(2015/5/12) 〕。前半戦はスタメンを維持していたが、慢性的な右膝の痛みによりベストなパフォーマンスを発揮することができなかった。シーズン終盤は長谷川監督の意向で怪我の治療に専念するためメンバーから外され、12月に右膝のクリーニング手術を受けた〔<ガンバ大阪> 逆襲の2016年にーー。DF岩下敬輔の『想い』。 ヤフー、2016年1月20日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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