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岩丸 史也(いわまる ふみや、1981年12月4日 - )は、群馬県藤岡市出身の元サッカー選手。現役時のポジションはゴールキーパー(GK)。 ==来歴== 前橋育英高校時代に茂原岳人らとともに高校選手権でベスト4まで進み、2000年に茂原とともに神戸に入団。しかし、掛川誠の前に出場機会に恵まれなかった。 2003年、大分戦でリーグ初出場のチャンスを得るも、守備陣のミスなどで8失点という大量失点の苦いデビュー戦となった。2004年は神戸で6試合に出場。シーズン後半は磐田にレンタル移籍し、7試合に出場した。2005年はJFLからJ2に昇格したザスパ草津にレンタル移籍。北一真、小島伸幸と定位置を争い、21試合に出場した。2006年は福岡にレンタル移籍したが、水谷雄一が正GKを獲得したため出場機会はなかった。シーズン終了後にレンタル元の神戸から戦力外通告を受けた。 2007年、J1に初昇格した横浜FCに移籍。しかし、若手の菅野孝憲の前にナビスコカップ1試合の出場にとどまり、チームもわずか4勝に終わり1年でJ2降格となった。菅野が柏に移籍した2008年はベテランの小山健二が正GKに起用されたため、4試合の出場にとどまった。2009年は17試合に出場したが、大久保択生の台頭もあり終盤戦はベンチを温めた。小山が引退した2010年は出場機会が無かったばかりか、シュナイダー潤之介と関憲太郎の加入でベンチにすら座れなくなった。シーズン終了後に戦力外通告を受ける。 2011年、熊本に完全移籍。移籍後は南雄太の控えとなっていたが、2012年5月6日の徳島戦で右大腿内転筋に怪我をした南に代わって出場。これで3年ぶりのリーグ戦出場になるとともに、熊本移籍後のリーグ戦初出場になった。 2013年、横浜FCと熊本で師事した高木琢也を慕ってJ2に昇格した長崎へ完全移籍。しかし、開幕戦の岡山戦(1-1)、第2節G大阪戦(1-3)と連続でファンブルする大失態を犯した(特に岡山戦は1-0とリードした試合終了間際の出来事であった)。第3節モンテディオ山形戦(0-2)にも敗れ、出場した3試合で1分け2敗・計6失点を喫し、第4節カターレ富山戦(1-0)からは金山隼樹に正GKを譲る結果となった。富山戦では金山の活躍もあってJリーグ初勝利を収め、その後10試合負けなしと好調に転じ、余勢を駆って最後まで上位争いに絡み昇格1年目ながらJ1昇格プレーオフ圏内の6位に入った。しかし、皮肉にもそれは自身が控えに降格してからの出来事であった。 2014年、古巣ザスパクサツ群馬に完全移籍で9年ぶりに復帰。しかし、北と内藤圭佑の牙城は崩せず中盤以降は富居大樹の台頭で第4GKとなり出場機会はなかった。シーズン終了をもって現役を引退〔【トップチーム】岩丸 史也 選手 現役引退のお知らせ ザスパクサツ群馬 (2014年11月25日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩丸史也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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