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石井垣城(いわいがきじょう)は鳥取県西伯郡大山町石井垣に存在した日本の城。この地方では珍しい複郭式の遺構が確認される。 ==歴史== 南北朝時代初期には伯耆守護代の糟屋弥次郎元覚の拠点であった。元弘3年(1333年)、船上山合戦の後、名和長年によって攻撃され炎上、幕府方の糟屋氏は滅亡した。まもなくして付近の国人・赤坂掃部助が居城、その後箆津豊後守敦忠が居城して以後は箆津氏の拠点となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石井垣城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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