翻訳と辞書
Words near each other
・ 岩出バイパス
・ 岩出亥之助
・ 岩出和也
・ 岩出図書館
・ 岩出大宮神社
・ 岩出山
・ 岩出山バイパス
・ 岩出山中学校
・ 岩出山伊達家
・ 岩出山伊達氏
岩出山城
・ 岩出山町
・ 岩出山町町営バス
・ 岩出山駅
・ 岩出山高等学校
・ 岩出市
・ 岩出市図書館
・ 岩出市巡回バス
・ 岩出市民俗資料館
・ 岩出市立上岩出小学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

岩出山城 : ウィキペディア日本語版
岩出山城[いわでやまじょう]

岩出山城(いわでやまじょう)は、陸奥国(のち陸前国玉造郡(現・宮城県大崎市)にあった日本の城一国一城令ののち要害)。伊達氏以前は「岩手沢城」と呼ばれており、古くは足利氏一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。
== 歴史・沿革 ==

1590年(天正18年)小田原城攻略後の豊臣秀吉は、奥州仕置を行う。
これにより旧葛西大崎領12郡は木村吉清清久父子の領となるが、検地刀狩りなどへの不満から一揆が発生する(葛西大崎一揆)。
この一揆への関与を疑われた伊達政宗は秀吉により無罪とされるものの、翌1591年(天正19年)に、米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなる。
移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行った後に伊達政宗への引渡しを行ったと言われる。
尚この時に「岩手沢」から「岩出山」へと改められた。
以後仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となる(この時期、伊達政宗は「大崎少将」を名乗った)。
岩出山は奥大道の経路から外れており、1601年(慶長5年)より政宗は仙台城を築き、移った。その後、岩出山城は政宗の四男の宗泰を初代とする岩出山伊達氏が居住する要害になり、明治維新までつづいた。
なお、岩出山城には仙台藩藩校のひとつである有備館が置かれ、庭園とともに現在史跡に指定されている。有備館の建物は現存する最古の藩校とされる。
現在、城跡には有備館のほかに曲輪跡の平坦や土塁、空堀が残る。また、城山公園、宮城県岩出山高等学校大崎市立岩出山小学校として利用されている。
城山公園には伊達政宗のコンクリート像(平和像)がある。これはもともと第2次世界大戦における金属類回収令銅像を失った仙台城跡に置かれていたものだが、1962年に移設されたものである。仙台城の騎馬像に対して、岩出山城の平和像は起立した形で、1954年柳原義達が製作し、小野田セメントが材料を無償で提供した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岩出山城」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.