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岩城秀隆[いわき ひでたか]
岩城 秀隆(いわき ひでたか)は、出羽亀田藩の第4代藩主。 延宝元年(1673年)11月、第3代藩主・岩城重隆の長男・景隆の長男として生まれる。景隆は本来なら家督を継ぐ身であり、文武にも優れた人物であったが、重隆と対立して廃嫡された上に幽閉され、元禄9年(1696年)に死去した。 天和3年(1683年)5月6日、将軍・徳川綱吉に御目見する。宝永元年(1704年)2月10日、祖父・重隆の隠居により家督を継いで第4代藩主となる。正徳5年(1715年)、駿府加番に任じられる。 享保3年(1718年)10月25日、亀田で死去した。享年46。2人の男子は早世したため、末期養子として隆韶を迎えた。 当初、秀隆は岩城家第17代当主・常隆の子孫・伊達村隆(仙台藩士)を養子に望んだ。しかし、仙台藩伊達家との交渉はまとまらず、秋田藩佐竹家と養子縁組の交渉に及んだ。これもまとまらず、再度伊達家との交渉に及んだ。その結果、仙台藩主・伊達吉村の弟・村興(仙台藩第2代藩主・忠宗の八男・宗房の子)の子・隆韶を仮養子に指定することに成功し、死去にともない末期養子に認められたのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩城秀隆」の詳細全文を読む
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