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岩崎卓爾[いわさき たくじ] 岩崎卓爾(いわさき たくじ、明治2年10月17日(1869年11月20日) - 昭和12年(1937年)5月2日)は日本の気象観測技術者。石垣島において気象観測を通じ台風の研究を行った一方、沖縄県八重山地方の生物や民俗、歴史に関する研究も行い、著書などを通じて、それまであまり世に知られていなかった同地を広く世に知らしめた。南方熊楠同様、当時としては珍しい地方に根を下ろした多面的文化人といえる。 号は糸数原主人袋風荘(たいふうそう)主人、蝶仙、蝶翁。 == 経歴 == 1869年(明治2年)10月17日、仙台藩士の子として宮城県仙台市に生まれる。第二高等学校 (旧制)へ入学するも在学中に気象技師を志し中退。中央気象台(現・気象庁)へ入庁し研修生として根室、札幌などの測候所に勤務する。 1899年(明治31年)、結婚と同時に創設されて間もない中央気象台附属石垣島測候所(現・石垣島地方気象台)へ赴任する。翌年第2代所長に就任し、以降死去するまでの40年間を石垣島で過した。この間赴任先である沖縄県八重山地方の風土に魅せられ、気象観測の傍ら同地の社会、人文、自然科学に関する調査を独自に行う。いろんなことに一枚噛む性格だったようで、その調査対象は多岐に及ぶ。また教育振興のために1917年(大正6年)からは死去するまで八重山通俗図書館(現・沖縄県立図書館八重山分館)の第2代館長を兼務したり、島内に初の幼稚園を開設したりした。産業育成のため1914年(大正3年)には川平湾で御木本幸吉と共に黒真珠養殖業に関わったりもする。 1932年(昭和7年)所長職を退官、測候所に嘱託として残り、現在の石垣市登野城に居を構え「袋風荘」と名付け、自らを袋風荘主人と名乗る。1937年(昭和12年)5月2日死去。享年69。生前から島の土になりたいと願っていたが、妻・貴志の強い希望で遺骨は仙台に戻り、仙台市若林区南鍛冶町の泰心院に墓が建立された。戒名は「袋風院卓舟蝶仙居士」。死去して64年後の2001年(平成13年)、石垣市より名誉市民として顕彰される。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩崎卓爾」の詳細全文を読む
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