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岩村定高[いわむら さだたか]
岩村 定高(いわむら さだたか、1828年(文政11年11月)- 1899年(明治32年)1月7日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』99頁。〕)は、明治期の官僚、政治家。三重県令、元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・右近〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岩村定高」〕。 ==経歴== 佐賀藩士の家に生まれる〔『明治過去帳』554頁。〕。 明治2年7月17日(1869年8月24日)佐賀藩権大参事に就任。同年7月23日(8月30日)明治政府に出仕し開拓御用掛となる。以後、開拓権判官、兼民部権大丞、山形県大参事、同県参事を歴任〔。 明治5年9月18日(1872年10月20日)三重県参事に転じた。1873年11月2日、三重県権令、1875年12月9日、三重県令に昇進〔。1876年4月18日、現在の三重県が成立し引き続き県令を務め、県政の基礎を確立することに尽力〔『新編日本の歴代知事』604頁。〕。同年12月、飯野郡(現在の松阪市)に端を発した地租改正反対一揆である伊勢暴動が起こり鎮圧した。また、1880年5月、通常県会に郡長・郡吏員増俸案を提出したが、県会で削減が可決された。岩村は原案執行を行い、財源を地租として徴収したため、県議30名が異議を唱え辞表を提出し帰郷した連袂辞職事件が起こった〔。 1884年7月10日、元老院議官に就任。1890年10月20日の廃止まで在任し非職となり、同日、錦鶏間祗候を仰せ付けられ〔、1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる〔『官報』第2340号、明治24年4月22日。〕。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2335号、明治24年4月16日。〕、死去するまで在任した〔。
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