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岩松家純[いわまつ いえずみ]
岩松 家純(いわまつ いえずみ)は、室町時代中期から後期の武将。岩松氏礼部家の家祖。 関東争乱で1度は没落するが、幕府の援助で復活、分裂した岩松氏を統一した。 == 生涯 ==
=== 京都に雌伏 === 父の満純は応永23年(1416年)に外祖父(異説あり)の上杉禅秀の反乱に加わり(上杉禅秀の乱)、応永24年(1417年)に鎌倉公方足利持氏による追討を受けて処刑されている。父の死後、祖父の満国によって9歳の家純は廃嫡されたために家督を継げず、10月20日に家臣に伴われて長楽寺で出家、室町幕府の追討を恐れて西国に逃れ、武田氏・土岐氏・赤松氏などの庇護下にあった〔黒田基樹「上野岩松氏の研究」(所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一五巻 上野岩松氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-164-6)〕。 しかし永享の乱後に6代将軍足利義教によって罪を赦免されて還俗して長純と名乗った。これは満純の死後、岩松家を継いだ従弟(満純の弟満春の子)の岩松持国が持氏派であったため、長純を幕府派として擁立しようという義教の策略だったといわれる。このため、岩松氏は五十子に所領を持つ長純(礼部家)と、新田荘に所領を持つ持国(京兆家)に分裂した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩松家純」の詳細全文を読む
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