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岩根 忍(いわね しのぶ、本名:泉 忍(旧姓岩根)、1981年3月16日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。小林健二九段門下。大阪府大阪市出身。女流棋士番号は32。 ==人物== 女流棋士の一般的な登竜門である女流育成会出身ではなく、奨励会より、直接、女流棋士に転身した初めてのケースである(奨励会1級から女流1級になった)〔日本将棋連盟の規定により、初めから女流棋士の資格がなく、奨励会員としてのみ籍をおいていた女性が、奨励会2級以上で退会した場合、4月1日付又は10月1日付で退会時の段級位でそのまま女流棋士になることができる。この規定は、岩根が女流棋士になる少し前にできた新しい規定である〕。 将棋指しという勝負師である一方で、自分のことを「しぃ」と呼ぶあどけなさ、おっとりした関西弁、柔和な笑顔が特徴である。愛称はしーちゃん。特技は、フィギュアスケートとけん玉で、それぞれ「将棋世界」誌の連載企画「岩根忍の将棋って楽しい」(岩根が毎月地方の将棋道場を訪れ、地元の子供たちに指導対局する企画。1年間連載)で本人の実演シーンの写真が掲載された。 1994年の女流アマ名人戦優勝を経て、1995年、奨励会に入会。関西奨励会で1級まで上がる。この段級位は、優遇措置が適用されて初段まで上がった蛸島彰子と、先に女流棋士としてタイトル通算6期の実績から1級への編入試験受験を認められて合格した里見香奈のケースを除けば、女性の奨励会員としては甲斐智美、伊藤沙恵、加藤桃子と並び当時の史上最高位の記録であったが〔タイトル経験者の矢内理絵子、千葉涼子の奨励会(関東奨励会)での最高位は2級である。〕、2014年に西山朋佳が初段に昇段し、この記録が破られた。なお、奨励会時代の2002年に、第60期名人戦七番勝負第1局(NHK衛星第2で生放送)の記録係を、女性として史上初めて単独で行っている。 2004年4月1日に女流1級としてデビュー。その後順調に勝ち星を挙げ、1年後の2005年4月1日に女流初段となる。 デビュー直後の2004年から2年あまり、村田智穂とのコンビで、関西将棋会館サイト内のコンテンツ「お気楽日記」を執筆。以後「お気楽コンビ」と呼ばれるようになり、セットでの将棋普及活動も行う。 また、日本経済新聞のサイトであるNIKKEI NET 将棋王国において高橋和の後を引き継いで、コラム執筆を行う。 2004年4月から9月までNHK将棋講座「阿部隆の良い手悪い手普通の手」(NHK教育テレビ)のアシスタントを務めた。このとき、アナウンサーの泉浩司と出会う。これをきっかけに2006年1月23日に結婚。その年の秋に第1子(男児)を出産し、ママさん棋士となる。女流棋士としての姓は「岩根」のままで活動している。 2009年3月9日 第2期マイナビ女子オープンで、タイトル在位者・経験者の蛸島彰子、石橋幸緒、斎田晴子、清水市代らを破って6連勝し、挑戦権を得る。当時、岩根は第2子の出産を控える妊娠8か月であったが、インタビュアーに対し「(子供を)授かったことが(逆に)支えになりました」と語った。出産予定日がタイトル戦期間中となるため、五番勝負第2局以降の日程を白紙とし挑戦者の出産後、労働基準法で定められている8週間以上の休養期間をもって再度調整をする旨が、各主催者から2009年4月上旬に発表された〔日本将棋連盟 2009年4月3日 『第2期マイナビ女子オープン五番勝負日程について』 〕。 2009年4月21日午後、第2子(男児)を出産。 2009年7月8日、棋士(男性棋士)との初の公式戦で初勝利を挙げる(第3回朝日杯将棋オープン戦一次予選)。相手は普段から仲の良い神吉宏充であった。 2010年 倉敷藤花戦挑戦者として、里見香奈倉敷藤花に挑戦。初戦に勝利し王手をかけるも2連敗でタイトル奪取ならず。尚初戦(10月21日)と2戦(11月2日)の間に里見は女流王将を奪取しており(10月28日)、女流三冠を防衛した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩根忍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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