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岩永省一[いわなが しょういち] 岩永 省一(いわなが しょういち、1852年6月5日(嘉永5年4月18日) - 1913年(大正2年)3月12日)は、明治期の海事実業家。勲四等。ボンペイ航路を拓いて航海自主権回復に功があった。息子はニュース配信の通信自主権回復に功のあった岩永裕吉。 == 経歴 == 肥前国大村藩士の子。14歳で鹿児島の開成所に入り、荘田平五郎、高木兼寛と同窓になる。更に東上して慶應義塾に入り、通弁として菊池大麓らと共に文部省の留学生として英国に渡る。更に内務省の派遣で長与専斎らと共に米国に渡る。帰国後岩崎弥之助の推薦で三菱会社に入り、上海支店、神戸支店を経て高知支店の支配人となり、1885年(明治18年)郵便汽船三菱会社と共同運輸会社とが合併した日本郵船に移り専務取締役。墓所は多磨霊園。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩永省一」の詳細全文を読む
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