翻訳と辞書 |
岩沢忠恭[いわさわ ただやす] 岩沢 忠恭(いわさわ ただやす、1891年6月7日 - 1965年12月18日)は、日本の内務・建設官僚、初代建設事務次官〔公益社団法人 土木学会 歴代会長紹介 〕。教育者(日本大学教授〔AO 入試受付始まる 平成 19 年度 - 日本大学理工学部土木工学科 〕)。政治家、自由民主党所属の参議院議員(3期)。従三位勲二等。 == 経歴 ==
*1891年(明治24年)-広島県広島市仁保(現在の南区)生まれ〔『新日本大観』中国新聞社、1952年、6頁〕〔参議院会議録情報 第050回国会 本会議 第15号 〕〔名誉会員岩沢忠恭氏のご逝去をいたむ(<特集>モントリオール国際会議特集) 〕。 *県立広島中学(現広島県立国泰寺高校)〔鯉城同窓会 » 岩沢忠恭 〕~第三高等学校卒業 *1918年(大正7年)-京都帝国大学工学部土木工学科卒、内務省入省(同期に松村光磨戦災復興院次長、大津敏男樺太庁長官) *1920年(大正9年)-日本大学教授(道路工学) *1942年(昭和17年)-内務省国土局道路課長 *1943年(昭和18年)-防空総本部施設局土木課長 *1945年(昭和20年)-内務省関東土木出張所(現・国土交通省関東地方整備局)長、内務省国土局長兼内務技官 *同年-地理調査所(現在の国土地理院)発足で所長に就任〔塚田建次郎氏年譜(陸地測量部時代を中心に、敬称略) 〕〔終戦前後における參謀本部と地理学者との交流、および陸地測量部から地理調査所への改組について 〕 *1948年(昭和23年)7月-建設事務次官兼建設技監 *同年-第36代土木学会長 *1949年(昭和24年)-初代地盤工学会長 *1950年(昭和25年)-退官 *6月-第2回参議院議員通常選挙全国区当選(自由党) *1952年(昭和27年)-参議院予算委員長 *1956年(昭和31年)-第4回参議院議員通常選挙再選(自由民主党) *1959年(昭和34年)-参議院建設委員長 *1962年(昭和37年)-第6回参議院議員通常選挙広島県選挙区当選 *1965年(昭和40年)-参議院議員在任中に、慶応病院において死去
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩沢忠恭」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|