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岩波 重廣(いわなみ しげひろ、1955年2月15日-1999年1月21日)は、千葉県木更津市畑沢出身(山口県光市育ち)で、立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 栄一(いわした えいいち)。最高位は東前頭8枚目(1980年5月場所)。現役時代の体格は181cm、143kg。得意手は突き、押し。趣味はラジコン。 == 来歴・人物 == 出生地は千葉県だが、父・吉郎の仕事(新日鉄の社員であった)の関係で小学校時代(それ以前の幼稚園時代も含む)から高校1年生の1学期までは、山口県光市で過ごした。 1970年7月、生まれ育った千葉に戻り、8月より千葉県立天羽高等学校に転入。 高校2年生の時に何となくではあるが力士を志望し、元関脇・羽黒山が率いる立浪部屋の門を叩いた。 初土俵は、1971年11月場所である。翌年3月、本名でもある「岩下」の四股名で序ノ口に付いた。 以来相撲を取りながら高等学校(天羽高等学校→東京都立両国高等学校(1972年1月から))にも通い、幕下時代の1974年3月、無事に卒業を果たしている。幕下時代には愛川欽也と共に、テレビCMに出演した事がある。 1976年9月、21歳で十両に昇進。十両は5場所で通過し、1977年7月場所に於いて、22歳で新入幕を果たした。 大きな体を生かした押し相撲を得意としたが、同場所13日目の高見山戦で首と膝を負傷した事が大きく尾を引き、幕内上位への進出は一度も叶わなかった。 1982年以降は首・膝などの怪我に加え、糖尿病や内臓の病気にも悩まされて番付を下げてゆき、1983年5月場所では三段目まで陥落。三段目に落ちてからも暫く頑張り、一時は幕下に復帰を果たした。 しかし、翌年3月、東三段目49枚目の地位で全休したのを最後に29歳で廃業の止む無きに至った。 廃業後は永らく療養生活を送っていたが、1998年より地元・木更津市で居酒屋「橘」の経営に関わった。 だが程なく体調を崩し、翌年1月21日、43歳の若さで急逝してしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩波重廣」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iwashita Eiichi 」があります。 スポンサード リンク
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