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岩熊井堰[いわぐま いせき]
岩熊井堰(いわぐま いせき)とは江戸時代中期に宮崎県延岡市五ヶ瀬川の川水を農業用水の灌漑として引くために、延岡市下三輪町に設けられた井堰とその下流域に設けられた用水路である〔宮崎日日新聞社(1983) p.76〕。 == 概要 == 江戸時代中期、日向延岡藩において、出喜多村(現在の延岡市出北)は「出喜多の雲雀野」〔「出喜多の雲雀野」(いできたのひばりの):ヒバリが巣を張るという意〕と称される荒れ地であった。 たびたび所領地の庄屋を通じて藩庁に農業用水の確保を請願し続けたところ、家老藤江監物によって取り上げられ、郡奉行江尻喜多右衛門に命じて普請が着手されたところ、度重なる風水害また疫病の流行により中断を余儀なくされた。 また藤江監物は普請費用が藩の財政を逼迫した責任を問われて投獄され子息共々獄死される。江尻喜多右衛門らにより工事は継続され、着工から十年後の享保十九年(1734年)完成。工事前には150石しかなかった米の収穫高も755石にまで伸び、特に昭和8年及び昭和46年に行われた大規模改修により現在の姿となっている〔宮崎日日新聞社(1983) pp.76-77〕。
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