翻訳と辞書
Words near each other
・ 岸本周也
・ 岸本周平
・ 岸本和也
・ 岸本哲也
・ 岸本圭
・ 岸本多万重
・ 岸本好弘
・ 岸本小学校
・ 岸本尚実
・ 岸本尚毅
岸本左一郎
・ 岸本康通
・ 岸本建夫
・ 岸本弘
・ 岸本弘志
・ 岸本忠三
・ 岸本恵一
・ 岸本才三
・ 岸本斉史
・ 岸本早未


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

岸本左一郎 : ウィキペディア日本語版
岸本左一郎[きしもと さいちろう]
岸本左一郎(きしもと さいちろう、1822年文政5年) - 1858年安政5年))は、江戸時代囲碁棋士石見国大森生まれ、本因坊丈和門下、追贈七段。橘堂の号もある。
==経歴==
出雲国山下閑休に文を学ぶ。本因坊丈和に入門し、17歳で初段。その後跡目秀和に次いで、本因坊門の塾頭となり、五段に進む。帰郷して備前周辺で活動、著書『活碁新評』には篠崎小竹の序がある。
31歳で再度江戸へ出た後、同じ五段で同門の鶴岡三郎助、安井門下の鬼塚源治とともに、六段昇段を本因坊家、安井家、林家で合意されるが、やはり六段を望んでいた井上因碩(錦四郎)に反対され、3名は争碁を望むが因碩は受けなかった。1856年(安政3年)に左一郎が帰省することになったため、家元三家は因碩を含めた4人に六段昇段を認めた。
37歳の時に郷里で病没し、秀和は村瀬秀甫と岩田右一郎を送って七段を追贈した。7歳年下で入門の近い秀策との対局が多く残っている。本因坊家では内垣末吉、岩田右一郎を指導し、岩田は左一郎の死後に碑を作っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岸本左一郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.