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岸良兼養[きしら かねやす]
岸良 兼養(きしら かねやす、天保8年8月(1837年)- 明治16年(1883年)11月15日〔『日本人名大辞典』602頁。〕)は、幕末の薩摩藩士、明治時代の司法官。元老院議官、大審院長。通称・七之丞〔。 ==経歴== 薩摩藩士・岸良兼善の長男として生まれる〔『明治過去帳』新訂初版、180頁。〕。島津久光の小姓として、久光、島津忠義父子と精忠組との連絡役を務めた〔『明治維新人名辞典』327頁。〕。 明治政府に出仕し、慶応4年閏4月23日(1868年6月13日)議政官史官試補に就任〔『百官履歴 上巻』395-399頁。〕。以後、監察司知事、弾正大巡察、刑部少丞などを歴任〔。明治4年7月9日(1871年8月24日)刑部省が弾正台と合併して司法省となり、同年8月8日(9月22日)司法少判事に任官〔。明治5年(1872年)司法制度調査のため渡欧し、1873年(明治6年)9月7日に帰国した〔〔。同年12月28日、司法大検事に就任〔。 佐賀の乱、西南戦争後の裁判において検察の指揮を行う〔〔。1877年(明治10年)6月28日、初代検事長(現在の検事総長に相当)に就任。1879年(明治12年)10月25日、大審院長に転じた〔〔。 1881年(明治14年)7月27日、司法少輔に就任。1883年(明治16年)6月5日、元老院議官を兼任。同年7月4日、司法少輔を辞任し元老院議官の専任となる〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岸良兼養」〕。病のため在任中に死去した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸良兼養」の詳細全文を読む
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