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岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - )は、元「東京ウエスタンボーイス」のメンバーで「サンズ・オブ・ドリフターズ」(現在の「ザ・ドリフターズ」)の初代リーダー。第一プロダクション創業者である。群馬県出身。 == 経歴・人物 == * 1955年、「マウンテンボーイズ」との合併により、「サンズ・オブ・ドリフターズ」結成、初代リーダーとなる。 * 1960年、5年間勤めた後桜井輝夫にリーダーの座を譲り、渡辺プロダクションマネージャーを経て、芸能事務所「第一プロダクション」を創設し社長に就任する。現在も同社の代表取締役社長、また音楽出版社協会の副会長、日本音楽事業者協会の名誉理事を兼任。 * 千昌夫や小林幸子や扇ひろ子らとの交友があった関係で演歌歌手を中心に所属タレントを増やしていきぴんからトリオの女のみちの大ヒットで大きく躍進した。 * 1972年には大阪市に第一プロダクション大阪支社、系列会社として小林プロダクションを立ち上げるが1978年に閉鎖している。その後キャッツタウンレコードを創設、アメリカ・ニューヨークにもスタジオを開設している。 〔『アサヒ芸能』 発行:徳間書店(1993年5月8日号)「大ヒット曲を生んだ老舗プロダクションの今」 閲覧。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸部清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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