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峯ヶ塚古墳 : ウィキペディア日本語版
峯ヶ塚古墳[みねがづかこふん]

峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん)は、大阪府羽曳野市軽里2丁目に存在する古墳時代後期の前方後円墳古市古墳群の南西部に位置する。国の史跡に指定されている。
== 概要 ==
峯ヶ塚古墳は、墳丘の長さ96メートル、前方部の幅74.4メートル・高さ10.5メートル、後円部は直径56メートル・高さ9メートルの前方後円墳である。
江戸時代には、日本武尊白鳥陵に比定されていた(現在は、軽里大塚古墳を比定)。また、允恭天皇皇子の木梨軽皇子の墓との伝承もあった。
墳丘は二段に築かれており、二段目斜面の裾部分のみに数段の角礫が葺いてあるほかは、表面に葺石はみられない。
1992年(平成4年)の発掘調査で、後円部墳頂中央部の盗掘壙(とうくつこう)を掘り進めた結果、竪穴式石室が現れた。
石室や盗掘壙から、大刀鉄鏃などの武器、挂甲小札(けいこうこざね)などの武具、轡(くつわ)・(あぶみ)などの馬具、装身具、類などが大量に出土した。また、成人男性なども出土している。
出土した埴輪や横穴式石室の特徴から、6世紀初頃(古墳時代後期)の築造と考えられている。
また、発掘調査により、峯ヶ塚古墳は二重濠をもつ古墳であることが判明した。内濠の幅約11メートル、内堤の幅約18メートル、外濠の幅約8メートル、墓域は総長約168メートル、幅約148メートルの大規模なものである。古墳時代後期には古墳が全般的に縮小傾向をみせるなかで、二重濠を持つ古墳を築造できた被葬者は大王級の権力のある人物であったと推測される。
1974年(昭和49年)に国の史跡に指定されている。
また、1987年(昭和62年)に峯ヶ塚古墳を含む5.3ヘクタールが地区公園として都市計画が決定され、羽曳野市により1998年(平成10年)度を目指して公園と専門資料館の整備が検討されていたが、2006年(平成18年)現在完成していない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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