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島津久統 : ウィキペディア日本語版
島津久統[しまつひさみつる]

島津 久統(しまづ ひさのり)は、江戸時代後期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津氏23代当主。
== 生涯==
安永10年(1781年)、22代当主島津久倫の嫡男に生まれる。寛政元年(1789年)、鹿児島城に於いて元服し久統と名乗る。
文化9年(1812年)、宗家島津斉興の拝謝使として家老以下を随え江戸へ赴き将軍徳川家斉に拝謁し、太刀、馬等を献上する。文政2年(1819年)、父久倫から家督を譲り受ける。同8年(1825年)、家臣を登用するにあたり格式よりも実力を重んじる旨を布告した。また、3代続けて職務に精励した家は家格を昇進させるが、職務を懈怠した家は持高及び屋敷を没収する旨定めた。その他家臣に対し常に文武を奨励するよう度々通達を出している。
文政年間、前家老安山松巌大和国河内国に派遣し綿の栽培法を視察させ、また肥後国にも派遣し養蚕を視察させ、領内に綿の栽培や養蚕を広めた。また、父久倫が着手した領内の地誌編纂事業の成果として『庄内地理志』全113巻が完成した。現在、102巻が現存しており江戸時代後期の都城を知る貴重な史料となっている。
天保5年(1834年)、鹿児島にて54歳で死去。龍峰寺に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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