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島津 久薫(しまづ ひさただ、寛永10年11月18日(1633年12月18日) - 貞享3年1月17日(1686年2月9日))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、加治木島津家第2代当主。 父は島津忠朗。母は島津忠栄の娘。正室は島津光久の娘。養子は島津久季。島津幼名熊千代。通称又八郎、兵庫頭。初名忠昌、忠淳。 == 略歴 == 寛永10年(1633年)11月18日島津忠朗の子として生まれる。寛文11年(1671年)藩主世子綱久の次男久住(久季)を養子に迎える。延宝4年(1676年)2月16日父忠朗が没し、同年10月9日に家督相続を許され加治木領1万7800石の領主となる。 貞享3年(1686年)1月17日没。享年54。家督は養子の久住(久季)が相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津久薫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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