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島津久長 : ウィキペディア日本語版
島津久長[しまづひさなが]

島津久長(しまづひさなが、生年不詳 - 興国2年/暦応4年9月28日1341年11月7日)は鎌倉時代後期の薩摩の人。薩摩島津氏の分家、伊作家の初代当主。父は島津宗家3代当主、島津久経。幼名は薬寿丸。彦三郎左衛門尉。官位は下野守、大隅守。子に島津宗久(伊作家2代)。
伊作家の初代当主。島津宗家3代当主である島津久経の次子。幕府の命により蒙古の再襲来に備えるため、父の久経とともに薩摩へ下向。弘安4年(1281年)、薩摩伊作荘と日置荘、信濃太田荘の地頭職を久経より譲り受ける。翌年、軍が再び襲来すると博多を防衛、弘安の役後も警固の任に就く。
弘安7年(1284年)、久経が死去。兄の島津忠宗守護職を継ぎ薩摩へ入ると、久経に代わり博多警固の任を20年にわたり務めた。その後領地である伊作に入り亀丸城を築くと、文保元年(1317年)、長男の宗久に家督を譲る。延元3年(1337年)、宗久が後醍醐天皇に叛旗を翻した足利尊氏に味方し畿内北陸方面に遠征すると、伊作亀丸城の留守を預かる。天皇方である南薩の豪族たちが居城付近で挙兵すると、久長は彼らが立て篭もる居城を攻撃するものの、勝敗はつかなかった。興国2年/暦応4年(1341年)、死去。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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