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島津久静 : ウィキペディア日本語版
島津久静[しまつひさしず]

島津 久静(しまづ ひさなが)は、江戸時代後期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津氏25代当主。島津久本の長男。
安政3年(1856年)父の隠居によって家督を継ぐ。父久本が始めた百姓寄合田を郷士〔都城島津氏は都城城下だけでなく領内に多くの郷(外城)を抱えており、本藩と同様の行政組織をとっていた。〕に適用した衆中寄合田を始めた。また藩政では東目海岸防禦総取として大隅半島の海防に当たった。
安政6年(1859年肥田景正に命じて京都江戸を観察させ、自身も藩主島津茂久の名代として江戸に出府している。文久2年(1862年)、島津久光の上洛に先立って大館晴勝木幡栄周隈元棟貫豊丸勝任山下章坂元良敏立山時常らに京坂を探索させ、自身も三百余名の兵を率いて上洛した。久光が幕政改革を迫って東下した際に、尊皇攘夷過激派から京都を守護するために留守を守り、都城兵は御所の警備などを行った。しかし久静は麻疹に罹って伏見で急逝した。役人〔薩摩藩私領主の家老にあたる役職。〕の北郷資雄資知らはその死を秘し役目を全うした。
跡を息子の久寛が継いだが、幼かったため父の久本が再び政務を見た。
== 脚注==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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