翻訳と辞書
Words near each other
・ 島津幸広
・ 島津幸男
・ 島津庄
・ 島津彰久
・ 島津征久
・ 島津志穂
・ 島津忠久
・ 島津忠之
・ 島津忠亮
・ 島津忠仍
島津忠俊
・ 島津忠信
・ 島津忠倍
・ 島津忠兼
・ 島津忠兼 (播磨家)
・ 島津忠兼 (薩州家)
・ 島津忠冬
・ 島津忠剛
・ 島津忠卿
・ 島津忠厚


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

島津忠俊 : ウィキペディア日本語版
島津忠俊[しまづ ただとし]

島津 忠俊(しまづ ただとし、永正5年(1508年) - 天文18年10月27日1549年11月16日))は戦国時代薩摩国島津氏の庶流。通称は三郎四郎、受領名は式部大輔、摂津介。父は島津忠誉、母は今給黎久慶の娘。妻は樺山広久の娘。子は喜入季久喜入忠道喜入久続
祖は島津氏宗家9代・忠国の7男である忠弘で、忠弘が喜入(現・鹿児島市喜入町)を領したのが始まり。忠俊は喜入氏の4代目であるが、喜入姓を名乗り始めるのは子の季久以降である。
天文8年(1539年)3月、島津貴久薩州家島津実久神前城(玉林城とも)を奪取した際に、頴娃小四郎(頴娃兼友か?)と共に貴久の味方として参じると、同年6月に市来侵攻で功を上げた。天文17年(1548年)の本田薫親退治の際は、佐多忠成と共に和睦の取次役を務めた。
その翌年に死去した。享年42。法名は「義雲源忠」。
==参考文献==

*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島津忠俊」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.