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島津忠時[しまづ ただとき]
島津 忠時(しまづ ただとき)は鎌倉時代前期から中期にかけての武将。島津氏の2代当主。父は初代当主・島津忠久。母は畠山重忠の娘(異説あり)。鎌倉幕府御家人。初名は忠義。のちに忠時に改名する。 == 生涯 == 承久3年(1221年)、承久の乱で幕府軍に従軍して武功を挙げた。一門が守護をしていた若狭国の守護職を兼任する。 嘉禄3年(1227年)、父・忠久の死により家督を継ぐ。しかし在国はせず、鎌倉に在住して有力御家人として近習番役などに任じられ、幕政で重きを成した。その功により伊賀・讃岐・和泉・越前・近江国内などに地頭職を与えられた。 文永2年(1265年)、嫡男の久経に家督を譲った。文永9年(1272年)4月10日、71歳で死去。法号は道仏。墓地は鹿児島市の本立寺。または出水市野田町の感応寺。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津忠時」の詳細全文を読む
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