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島津忠隣[しまづ ただちか]
島津 忠隣(しまづ ただちか)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。 島津義虎と御平(島津義久の娘)の次男。天正12年(1584年)、男子のいなかった大叔父・島津歳久(義久の弟)の養嗣子となり、歳久の長女と結婚した。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐において島津氏は一方的な防戦となり、重要な戦略拠点である日向国の根白坂(現・宮崎県木城町)を宮部継潤に占拠されてしまう。忠隣は、夜襲を掛け根白坂を奪回することを提案するが、あまりに無謀な攻撃であり、島津家久(義久や歳久の弟、妻方では叔父、母方では大叔父にあたる)に猛反対されたという。しかし、その制止を振り切り根白坂を攻撃するが、それを予測していた宮部軍の反撃により忠隣率いる島津側のほぼ全員が戦死するという大敗を喫した(根白坂の戦い)。享年19。鉄砲傷を被り、家臣鎌田囚獄左衛門が差し出した青梅を末期の水代わりに食べながら絶命した。 なお、その年の1月に生まれたばかりの長男・島津常久は歳久によって養育され、日置島津家として系譜は続いた。 たたちか category:戦国武将
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津忠隣」の詳細全文を読む
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