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島津教久 : ウィキペディア日本語版
島津教久[しまづのりひさ]
島津 教久(しまづのりひさ、? - 嘉吉2年1月19日1442年3月1日))は室町時代薩摩の武将。
薩摩島津家の分家、伊作家の6代当主。父は伊作家5代当主、島津勝久。母は島津元久の女。安鶴丸、四郎左衛門尉。子に島津犬安丸。年代的に考えると「教」の字は当時の室町幕府将軍足利義教から下賜されたものと推測される。
伊作家6代当主。応永29年(1422年)、祖父であり伊作家4代当主であった島津久義が弟の島津十忠により殺害される。久義とともにいた教久の身にも危険が及ぶが、家臣に守られ居城の伊作亀丸城に篭城。島津宗家8代当主、島津久豊はこの騒動の原因が教久の父、勝久にあるとしたため、勝久は肥後へ追放される。教久は縁故の市来氏に預けられることになった。永享5年(1433年)、島津宗家9代当主島津忠国の弟、島津用久(当時守護代)の命で領地は大幅に減ったものの伊作へ復帰することになった。嘉吉2年(1442年)、伊作にて死去。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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