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島津斉興 : ウィキペディア日本語版
島津斉興[しまつひとしきょう]

島津 斉興(しまづ なりおき)は、江戸時代後期の外様大名島津氏第27代当主。薩摩藩の第10代藩主
== 生涯 ==

=== 家督相続 ===
寛政3年(1791年)11月6日、第9代藩主島津斉宣の長男として江戸で生まれた。生母の実家鈴木氏は浪人であったため、斉興出生後に藩と鈴木氏との間で諍いが起きている〔当初、鈴木氏が娘を旗本に養女に出してから側室にしたのがとがめられたとされる(『薩藩旧記雑録』所収文書など)。しかし、徳川将軍家の側室もこのような形で出身を底上げしていることは多く、何故このことが諍いとなったのかは今なお解明されていない。〕。
文化元年(1804年)10月に元服、将軍・徳川家斉より偏諱を賜って、初名の忠温(ただよし/ただはる/ただあつ)から斉興に改名。従四位下、侍従兼豊後守に叙任。
文化6年(1809年)6月、近思録崩れの責任を取る形で父・斉宣が祖父・重豪によって強制隠居させられたため、家督を継いで第10代藩主となった。しかし藩主になったとはいえ、藩政改革などの実権は重豪に握られていた。
天保4年(1833年)、重豪が89歳で大往生を遂げるとようやく藩政の実権を握り、重豪の代からの藩政改革の重鎮・調所広郷を重用して、財政改革を主とした藩政改革に取り組んだ。藩政改革では調所主導の元、借金の250年分割支払いやとの密貿易、砂糖の専売などが大いに効果を現わし、薩摩藩の財政は一気に回復したが、嘉永元年(1848年)幕府から密貿易の件で咎められ、責任者の調所は12月に急死した。斉興に責任を及ばさないために1人で罪を被り、服毒自殺したとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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