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島田修二 : ウィキペディア日本語版
島田修二[しまだ しゅうじ]

島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年8月19日 - 平成17年(2004年9月12日)は、日本の歌人。宮中歌会始選者も務めた。洋画家文化功労者島田章三は実弟。
== 略歴 ==
神奈川県横須賀市出身。旧制横須賀中学(34期)を卒業。兄・陽一(横中30期、海兵73期海軍中尉敷波乗組)を戦災で亡くし〔『百年の風 創立百周年記念誌 神奈川県立横須賀中学校・高等学校 朋友編・明友編』497頁〕、江田島海軍兵学校77期)在学中には広島で原爆を目撃した。静岡高校在学中に北原白秋の「多磨」に入会。東京大学文学部社会学科卒業後、読売新聞記者のかたわら作歌をする。「コスモス」創刊に参加し、宮柊二に師事する。1988年に「青藍」を創刊、主宰となる。
1984年「渚の日日」で第18回迢空賞受賞。1996年「草木国土」で第11回詩歌文学館賞受賞。2001年「行路」で第1回山本健吉文学賞受賞。人間の生きる哀歓をとらえつづけ、身体障害の子をもつ父としての苦悩も歌う。
2004年9月12日逝去。兄・陽一が南シナ海で戦死してから、ちょうど60年後であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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