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島田墨仙 : ウィキペディア日本語版
島田墨仙[しまだ ぼくせん]
島田 墨仙(しまだ ぼくせん、1867年11月4日慶応3年10月9日) - 1943年昭和18年)7月9日)は、明治から昭和初期に活躍した日本画家橋本雅邦の弟子で、歴史画、特に歴史人物画に優品を残した。
== 略伝 ==

=== 生い立ち ===
越前国福井城下で、元福井藩島田雪谷の次男として生まれる。父・雪谷、兄・島田雪湖も日本画家である。9歳頃から父から絵を学び始める。1882年(明治15年)頃、福井中学校(現在の福井県立藤島高等学校)に入学。しかし、1884年(明治17年)1月に稼ぎ頭の父を亡くすと、家計の事情から中学3年を修了した春に退学。自分は士族に生まれたからには軍人にならねばならぬと思い込んだ墨仙は、すぐに陸軍士官学校陸軍教導団に志願するが、視力が合格の1.0に満たず不合格となる。翌年、福井中学校で代用教員の職に就く。1886年(明治19年)東京美術学校入学を志し、父と同郷の岡倉覚三(天心)を訪ね、偶然狩野芳崖とも出会う。美術学校は開校前だったので帰郷、再び陸軍を志すが不合格となり、画家として生きる決意をする。しかし、兄雪湖は福井に家族を残し上京してしまったため、墨仙は今度は正式採用された教員として妹達を養いながら、独学で日本画を学ぶ。画号を華堂、後に雪信とし、一方で父の門人だった小林寿や大平広正から西洋画も習う。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島田墨仙」の詳細全文を読む



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